フリーハグの思い出。コロナ禍でハグをしなくなった今 #freehugs

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最後にフリーハグを経験したのは3年前に明治新宮を訪れようと通った新宮橋だった。
 
数年前はフリーハグの看板を持っていた人たちが当たり前にいた渋谷。
 
コロナ禍の今となっては、幻のような光景になってしまった。
 
もうフリーハグは絶滅してしまうかもしれない・・そんな声さえある。
 
フリーハグをやっている人たちの理由は人それぞれだった。
 

 
 
 

Free Hugsのはじまり

正確にはFree Hugsと呼ばれ、2001年のアメリカのマイアミで生まれたと言われている。
 
Free Hugsと書かれた看板をはじめて掲げたのが、母親を亡くしたばかりの1人の青年Jason Hunter(ジェイソン・ハンター)
 
彼の母親は“あなたがどれだけ大切な存在であるか”ということを抱きしめながら周りに伝える人だった。
 
そんな母親の意思を受け継ぎ、立場関係なく自分から歩み寄ることによって他者を励ますことが大切なのではないかとフリーハグをはじめたそう。
 
 

 
 
 
はじめて出会ったフリーハグ

今はもう閉館してしまったアップリンク渋谷で映画を見た帰り。
 
人で溢れかえる渋谷スクランブル交差点。
 
その日もフリーハグをやっている人がちらほらいた。
 
冒頭でも触れたようにフリーハグをやる理由は人それぞれ。
 
YouTubeの企画としてやったりする人もいれば、自らの宣伝として行なっている人もいる。
 
いつものわたしなら素通りして、駅の改札に向かうのに何故かフリーハグをして欲しいと思える人に出会った。
 
その彼はアメリカのジェイソン・ハンターと同じように“あなたがどれだけ大切な存在であるか”という想いを伝えたくて活動している人だった。
 
見ず知らずの他人にそこまでやってのける勇気と想いに驚いたのを今でも覚えている。
 
日々の生活を過ごすのが精一杯で他人に関心を寄せる余裕がない人も多い中、彼の愛にひどく感動した。
 
人は誰でも本来、他者に関心を持つ気持ち・愛する気持ちを持っているはず。
 
いつの間にか忘れていた心に気付くきっかけのひとつになれたらという想いを語ってくれた。
 
5分前までは他人だったのに、気付いたら愛について語っている状況にびっくりした。
 

 
 
気付いたら次に東京を訪れた時は、彼と渋谷でフリーハグをやっている自分がいた。
 
最初はとても勇気がいて恐る恐るだったけれど、1人目、2人目・・・と国籍・老若男女問わずにハグをしていくうちに心が温まっていくのを感じた。
 
もう二度と会わないかもしれないその人たち。利害関係もなくただハグをし合う。
 
わたしたちは毎日たくさんの他人とすれ違っているけれど、自分自体でそれは本当の出会いになる。
 
それをわたしは捨てたくないし、もしかしたら人生に絶望している人を救えるきっかけになれるかもしれない。
 
そんな中、駆け寄ってくれた2人の若者。
 
強いハグを交わした後、また戻ってきてくれたかと思ったら
  
「ハグがとても温かかったから気になって、また戻ってきました」ってなんと記念写真を求めてくれた。
  
「渋谷でこんなに温かい人がいるなんて」って言われた瞬間、フリーハグをやって良かったと思えた。
 
 

 
 
特に日本人はハグで気持ちを伝える場面は少ない方だと思う。
 
フリーハグについては、賛否両論が昨今絶えない。
 
わたしは元々、ハグすることが好きで自らする方だった。
 
特にわたしは女性ということもあって異性にハグすると誤解が発生するから辞めたほうがいいという友人も何人かいて、理解を得られないこともあった。
 
※フリーハグの本来の意味から逸れて、それを利用して犯罪を犯す人(セクハラなど)もいてそれはどんでもないことだと思っている。
 
仕事で初対面の人と会うことも多く、作品作りでその場限りの出会いだったとしても向こうからハグをされると、自分と同じ感覚を持っているんだなぁってとても嬉しくなる。
 
それはずっと記憶に残っているし、今思い出しても温かい気持ちになる。
 
あの日のハグを思い出して頑張ろうと思える自分がいる。ハグで心が癒される人がいるのも事実。
 
コロナ禍が過ぎ去る日がきたら、またフリーハグをやるのがわたしのやりたいことのひとつです。
 
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