耳が聞こえないわたしがClubhouseの登場で感じた寂しさ #音声SNS #インクルーシブ

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1月下旬、話題になった音声SNS、Clubhouse(クラブハウス)
 
音声でリアルタイムに会話が進んでいくそれは、もちろん耳が聞こえない人たちは参加出来ない。
 
クラブハウスの話題も落ち着いてきた今、当時の心境を振り返ってみたいと思います。
 

 
 
 
クラブハウスをはじめました!というタイムラインで埋め尽くされた2月はじめのInstagramやTwitter。
 
その時、わたしは目の前にガンッと急に境界線を引かれてしまったような気分になってしまった。
 
この感覚、なんだか前にも味わったことがある・・・そうだ、多人数の集まりで自分だけが会話の内容がわからず、それでも会話はどんどん進んでいく・・・そんな、置いてけぼりになった寂しさに似ていた。
 
世の中はインクルーシブが進んでいると思っていた中、このクラブハウスの登場は、いきなり不意打ちを食らわされたようだった。
 
あくまでもひとつのSNSツールに過ぎないけれど、自分だけが取り残されたような焦燥感が苦しく、当時はInstagramやTwitterも開けなくなってしまっていました。
 
視覚に障がいがある人にとっては可能性のあるツールだし、それぞれにあった媒体を選べばと言われたらそうなのだけれど、自分たちの存在が気付かれていないようで寂しさを感じてしまう。
 
 
 

 
 
話は変わり、以前、ユニバーサルをテーマにしたファッションショーに参加したとき、打ち上げ場所を決める場面でハッとさせられた出来事がありました。
 
ショーに参加したモデルは、車椅子ユーザーが半分以上を占めていました。
 
しかし、ファッションショー全体の打ち上げは地下にあるライブハウス。階段でしか降りる手段がなくエレベーターが使えなかった。
 
そこで、自分たちのチームで打ち上げをしようということになり、いざ、お店探しをはじめると車椅子で入れるお店が想像以上に限られている。
 
とても驚き、そんな盲点が日常の中にたくさん隠されていたこと。
 
自分の視点の狭さを深く恥じた瞬間でした。
 
結果どうなったのかというと、打ち上げ場所に決まったお店は、入口は段差がなく問題なく通れたけれど、お手洗いへの通路が車椅子の幅より狭く、近くのビルにあるお手洗いを探さなければならなかった。
 
こんなにも車椅子ユーザーが使うことを想定されてないお店が多過ぎることにショックを受けた。
 
その日からと言うのも、このお店やサービスは誰もが利用しやすいのだろうか、などと見る世界が大きく変わった。
 
いつも、当事者の声は後になってから反映されることが多い。
 
今回のクラブハウスで、まさに自分自身が当事者となり、何かのサービスの裏には寂しさや悲しさを感じる人がいるということを、身をもって強く実感させられました。
 
自分の存在が周りから見えていない、取り残されたような孤独って、とてもつらい。
 
誰もが置いてけぼりにならない世界を目指して、想像力を働かせようと思うきっかけになりました。
 
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