ギャスパー・ウリエルの青い瞳 #たかが世界の終わり #ギャスパーウリエル #グザヴィエドラン

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フランスの俳優ギャスパー・ウリエルが1月19日、スキー事故により37歳の若さで亡くなられました

 

心よりご冥福をお祈りします

 

 

 

 

このニュースを知った時は本当に信じられませんでした

 

なぜなら私はグザヴィエ・ドラン監督、ギャスパー・ウリエル主演の「たかが世界の終わり」をテーマに扱った論文を先日書き上げたところだったからです

 

毎日この映画を観て、ギャスパーのあの透き通った青い目を、顔を見ていました

 

もはや他人事ではありません

 

 

ということで今回はいつか書こうと思っていた映画「たかが世界の終わり」について、親愛なるギャスパー・ウリエル追悼の意を込めてこのタイミングでお話ししたいと思います

 

 

 


 

映画『たかが世界の終わり』公式サイト

「たかが世界の終わり」公式サイトより

 

 

あらすじ

劇作家のルイ(ギャスパー・ウリエル)は余命が近づいていることを家族に告げるため12年ぶりに帰郷した。家族団欒感動の再会になるかと思いきや、12年という月日により残された家族はルイに馳せるそれぞれの思いが募り、複雑な感情が家族の間で交差する。混沌に飲まれ、ルイはなかなか本題を切り出せない。家族とは何か?とは何か?絶望の中に希望はあるのか?

 

 

 

本作はフランスの劇作家ジャン=リュック・ラガルスの戯曲「Juste la fin du monde」を元に制作されました

 

キャストもフランスの一流俳優が起用されており、全編フランス語です

 

 

 

キャスト

一言メモを添えて紹介

 

主人公 ルイ

12年ぶりに実家に帰ってくる

病名は不明

寡黙

 

 

ルイの母 マルティーヌ

青いシャドウと青いネイルが印象的 派手

強い母(夫が亡くなった時期は不明だが、3人のことを一番よく見てきた)

 

 

ルイの妹 シュザンヌ

妹だが物心つく前にルイは出て行ったのでほぼ他人

劇作家としての面の方がよく知っているからルイを尊敬しているほぼファン

めっちゃタバコ吸う

兄アントワーヌと仲が悪く、口が悪い

 

 

ルイの兄 アントワーヌ

常に不機嫌

誰に対しても嫌味っぽい

よくシュザンヌと喧嘩する(いい歳のはずなのに)

長男としての責任を感じている

 

 

アントワーヌの妻(ルイの義理の姉)カトリーヌ

ルイからすると唯一の他人

寡黙なルイがよく話すのはカトリーヌ

アントワーヌのどこに惹かれたのだろうか

 

 

 

 

、、とキャストは5人です 少ないですよね

 

原作が戯曲なので会話が中心に映し出される映画です

 

その会話のほとんどが家の中で繰り広げられます

 

ただ淡々と話すだけじゃなくて泣くわ叫ぶわでやっぱり劇感は否めません

 

 

 

基本的にルイ以外の家族がよく喋ります

 

家族はルイが帰ってきた理由を知らないわけですから、12年分の思いをぶつけるのですが、この家族みんな不器用なんですよね

 

会話が成り立たないこともしばしばあり、罵り合いの喧嘩が始まれば家族団欒の空気が一変してカオス空間になるのです

 

12年分の不在に対する罪悪感を感じると同時に、なんせよく喋る家族ですから告白するタイミングがなかなか難しいんです

 

そうやって見進めていくと我々はとあることに気がつきます

 

 

それは、ルイは主人公なのに一番セリフが少ないということ

 

 

だからこそルイの目線や表情がすごく大事なんです

 

 

が、、大きなアクションシーンもなく、ひたすらに顔のアップで会話が続く映画なんてつまらなそうだなあと思う方もいらっしゃることかと思います

 

 

その通りです

つまらないです

 

 

でもよく考えてみたら私たちの日常もつまらないと思うんです

 

(と言い切ってしまうと語弊を招きそうなのでもう少し補足しますね)

 

他の映画に出てくるようなドラマチックなシーンが起こることって実際は日常的なことではないですよね(実際に起こり得ないことが映画の世界では実現できるから見たくなるんだけどね)

 

一部の人を除いて、大抵の人は毎日同じことの繰り返しで生きているわけです(特にコロナ禍になってからはそう感じます)

 

そして本作でも普段と変わらない日常生活の中で、ルイが帰ってくるというイベントが発生した日のことを取り上げているというだけで、家族関係や設定は何も特別なものではないのです

 

つまり、本作は私たちの日常に近い映画であるのです(もちろん演技なので表現とかは若干大袈裟で現実離れしているけれど)

 

テーマは「家族と愛」

何か専門の知識が無くても考えることができる身近なテーマです

 

ではこのテーマが一体どのように作用してくるのか?

 

まずは、この問いについて想像してみてください

 

 

「音信不通だった自分の家族の誰か(子ども、きょうだい、両親、誰でもいいです)が12年ぶりに帰ってきたら、あなたはどのような態度で接しますか?」

 

 

私は弟で考えてみました(度々登場させられる可哀想な弟)

 

正直に言うとこれはもう「なんでやねん」案件ですよね

 

なんで連絡よこさんかったんやと

ほんで今更なんの用やと

 

でも心のどこかでは帰ってきた理由があるはずやとも思います

 

でも再会してすぐに「なんで帰ってきたん?」って聞くのは難しそう

 

実の弟とはいえど12年も音信不通やったらなんとなく気まずいやろうし、本題に入る前にウォーミングアップがいるというか、、

 

(本当にあった話みたいになってますけどフィクションですからね!?)

 

 

みなさんも想像力を働かせていただけましたでしょうか?

 

本作では私のような態度を取る人物がいるんですよね

 

ルイと母、ルイと妹、ルイと兄、ルイと兄嫁でそれぞれ会話するシーンがあるのですが、みんなルイに対するアプローチが微妙に違うんです

 

だからみなさんが想像上で取った態度と同じ態度を取っている人物がこの作品の中にいると思うんです

 

 

そういった感情の部分はむしろ現実に近いものがあって、リアルです

 

一流俳優の演技は素晴らしいです

 

家族間の複雑な感情や葛藤がひしひしと伝わってきます

 

でもそこで味わった感情を上手く表現できる言葉が見つからなくて、見終わった後は正直なんとも言えない感情になります(これはドラン作品あるあるなんですよね)

 

 

ルイ以外の家族からすると

いくら家族であっても12年も経ってしまえば他人同然になってしまう

連絡もよこさなかったことに対して怒りをぶつけたくもなるけれど、12年も経ってしまったけれど、理由は何にせよ帰ってきてくれた、またこうして家族全員で食卓を囲むことができた

 

 

ルイからすると

12年も放っておいて急に帰るのは不安だ

ましてや余命のことを告げるなんてもっと不安だ

でも、家族だから余命のことはちゃんと伝えておきたい

最後に会っておきたい

 

 

この家族の複雑な感情を読み取るには会話はもちろんなのですが、会話が行われていない場面にも注目して見る必要があるのです

 

なので、論文では本作におけるコミュニケーションについて書きました

 

言語を使った会話を通して行われるバーバルコミュニケーションと表情や目線などの非言語で行われるノンバーバルコミュニケーションです

 

ギャスパーのあの青い目を何度も見て観察しました

 

伏し目がちのルイが相手の目をしっかり見て話す場面がいくつかあります

 

そこがキーポイントになっています

 

 

ルイ役がギャスパーでなければこの作品に対しての印象はかなり変わっていたと思います

 

それくらい繊細な役を見事に演じ切っています

 

 

 

 

 

「家族と愛」

 

 

 

 

 

このつまらない日常を客観的に見ないと改めて深くは考えないかもしれないですね

 

だから本作を見た後は複雑な気持ちになりながらも、家族ってなんだろうなあ、愛ってなんだろうなあ、ってぼやっと考えることになると思います

 

正解は見つかってないんですけどね

 

でもそれでいいんだと思います

 

捉え方や感じ方は観客次第なのがドランの映画のスタイルであって醍醐味でもあるのです

 

 

 

この映画は私たちが忘れかけていた大切なものを思い出す、そのことについて改めて考えるきっかけを与えてくれます

 

 

 

 

 

こんなにも素晴らしい俳優をまた一人失ってしまったことは本当に悲しいです

 

 

 

 

触れたら壊れてしまいそうなほど儚いルイのあの青い目が忘れられない

 

 

 

 

ギャスパーのあの青い目を私は忘れない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Coco:)

 

Instagram : @coco_nishi

 

 

 

 

 

 


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