NYLONブロガー 平真悠子(mayuko taira)
mayuko taira
平真悠子
graphic designer / buyer

札幌在住のグラフィックデザイナー兼バイヤー。アーティストチーム"LAdy LAbel"でのクラブイベント活動からSkate Boardまで日々送っているディープなストリートカルチャーを通して、日常の楽しみ方のヒントを見つけられるブログを配信。

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これまでの夢と30代になった今 #聴覚障害と夢 #deaf 投稿日 2016年2月19日

 
 
先日、思い出が沢山詰まっている小樽港へ行きました。
砂浜も好きだけど、港はもっと好き。
 
現在はグラフィックデザイナーとして日々働いていますが
かつての夢は海上保安官。
 
あの真っ白な制服は、今でもずっと私の憧れです。
 
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30代を過ぎた今、海上保安官へのチャンスは
船舶、航空機などの有資格者の採用試験のみ。
 
聴覚障害を持って生まれた全聾の私には全くチャンスはないけれど
今でもチャンスがあるのなら船舶の資格を取得して試験を受けたいぐらい。
 
 
わたしは港町の北海道・釧路に生まれ、8歳から18歳まで
10年間、海洋少年団の団員として育ちました。
 
毎週末や全道大会前の夏休みはずっと手旗信号、競技ボートのカッター、結索…
といった訓練に明け暮れ、学校生活より海洋が青春でした。
 
訓練や大会でたまに会った海上保安官は当時から私の憧れ。
 
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海上保安学校の試験の1つ、身体測定の基準。
もちろん100dbを超える重度難聴の私には必要な聴力が満たなく
試験を受けることさえも叶いませんでした。
 
自分の障害がこんなに重いとは思わず、はじめて社会の現実を受けて
絶望感ばかりの毎日、他にやりたいことが見つからない高校時代。
 
 
大人になるにつれてだんだん人間関係も複雑になっていく中
 
質問されたとき言葉の内容を聞き間違えてしまって頭が悪いと思われたり
挨拶に気付けなくて礼儀を知らないと思われたり、誤解されたり
聞こえないことを伝えると避けられてしまったり…..
 
なんで、障害をもって生まれてきたんだろう
 
10代後半はそんなことばかり考えてしまっていました。
 
 
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やりたい事が見つからず、高校卒業後はフリーターになり
お給料はほとんどファッションばかりに消えていた気がします。
 
ハローワークで職探しをしてきて障害者専門の窓口でも
聴覚障害者の求人は当時は1~3枚と少なく
 
海上保安学校でさえ受けれないどころか、この中からしか選べない・・・
今だから言えますが、当時の私は心がかなりすさんでしまっていました。
 
 
そんな中、バンタンキャリアスクール(現:バンタンデザイン研究所)の札幌校が
出来ると聞いて、もともとファッションが大好きだった私は
札幌校第1期生に応募したところから私のアパレル人生がスタートしました。
 
 
約12年前ファッション学生になる前の20歳当時。
90年代後半を引きずった2000年前半を感じる焼けた肌に細い眉が懐かしいです。
 
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学校を卒業したあと、ストリート文化がもともと好きだったわたしが
はじめて勤めたショップはBanperHit!というメンズセレクトショップ
 
NYストリートだけに限らずヨーロッパカジュアルまで取り扱っていて
ストリートながらも上品さのあるメンズスタイルが当時大好きでした。
 
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言葉も正確に発音は出来ないし、聞き取ることも出来ない
接客もままならない私を今はもう亡き社長さん、当時の店長が
 
“自分が出来ることをやればいい。出来ないことは他のスタッフがやればいい”
 
という言葉にとても感動したのを覚えています。
 
 
聴覚障害を持っていることから限られた仕事の中から
選ぶことしか出来ないと思い込んでいた私。
 
それまでハローワークであらゆる求人の面接希望の問い合わせをしても
「電話応対」が出来ないと厳しいと言われハローワークを後にするのがお決まり。
 
そんな面接さえも断られてばっかりだった私にはとても嬉しい言葉でした。
 
 
今、夢を持っている方には自分で勝手に夢を制限する事なく
障害の有無に関係なく、まずは行動して欲しいと強く願っています。
 
 
 
メンズファッションに触れたあとは、NY・LAインポートを主にした
レディースセレクトショップEDGE JAPANで勤めました。
 
どこにもないような海外のアイテムをオーナー自ら探し歩き
見つけ出してきたセンス溢れるセレクトがとても大好きでした。
 
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現在は、勤めていた2つのショップはもうないけれど
今でもわたしの大切な20代の思い出です。
 
なかなか接客が出来なかった分、ネットショップを担当したり
お店のショップカードを作ったりと、デザインに触れるようになったことから
その経験を生かし現在のデザインの仕事をするようになりました。
 
 
 
今でも、障害のことで悩んだりすることもあったりするけれど
これまでのアパレル経験が夢を叶える自信をつけさせてくれた気がします。
 
 
ハンディキャップを乗り越えて目標が叶った時の嬉しさ。
これまでの価値観が変わっていく楽しさ。
 
20代の時のこれらの嬉しかった経験が
30代になった今の原動力・情熱にも繋がっている気がします。
 
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そして、31歳になった今の夢は海外の手話を覚えて世界中の人と会話をすること。
 
日本語を理解するのも難しい私に英語などは絶望的だと思っていましたが
手話(と筆談)いう手段があることに今更気付きました。
 
未だに自分の可能性を決め付けている部分があったんだなと反省。
 
 
これまで、人とのコミュニケーションに不自由だった分、諦めていた分
もっと色んな方とコミュニケーションを取りたいという強い気持ちが
今になって出てきているのかなと思います。
 
海外でも言葉を伝えられる手段、自分の表現力の1つを身につけていきたいな。
 
そして、NYLONブログといったこのありがたい場所でも
自分というものをこれからも表現していきたいです。
 
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長くなりましたが、ブログを読んでくださってありがとうございました。
 

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