ヨーロッパ周遊で学んだ「何もしない歓び」と「エコの意識」
Posted onこんにちは、まりあんぬです。
ヨーロッパ周遊レポ、まだまだ続きそうなので(終わるの半年後になりそう)、ヨーロッパ周遊で思ったこと学んだこと書こうと思います。
よく旅をすると視野が広がるとか世界変わるといいますけど本当それです。いいことも悪いことも、旅をすれば視野が広がります。
私が学んだ大きなことはこの2つでした。
・何もしない歓び(Dolce far niente)
・エコ
他にもトイレは日本が一番綺麗で、温泉は全裸が一番、日照時間で体の元気さが違う、移民や宗教の違いなどもありますが、今回はこの2つをお話ししましょう。
・何もしない歓び(Dolce far niente)
これはイタリアの考え方、何もしない時間こそ、最高の至福という考え方です。日本やアメリカあたりの人の考え方では、まずありません。何もしないってものすごくもったいない時間だし、生産性もないので、なにもしないことが幸せなわけないだろうと考えますよね。でもイタリアの考えは全く逆の何もしない時間こそ、贅沢な時間と考えるのです。
イタリアの都心部こそ忙しそうですが、イタリアに近いギリシャやクロアチアの海ではそういった光景をよく見ます。ちょうど夏の時期なので、人によっては長期休暇を取っている人がいる時期というのもあるのですが、夕方日の沈みかけになると、折りたたみの簡易的な椅子を持ってきて、ずっと座ってる。カップルで来ていても、友達と来ていても、特に何も話さずに、ぼーっとして沈んだら帰る、みたいなのをよくしていました。私も最初の旅こそせかせかと観光地にいったりと忙しかったですが、この言葉を知ってからはなにもしないでぼーっとするということをよくするようになりました。マインドフルネスと似ている要素もあるのでしょうけど、贅沢に、なにもしないということが、とても重要なことだとわかりました。資本主義の日本にいると働かなくちゃー!生活費がー!という義務感を感じたり、働くことがえらいっていうみたいな考え方がありますけれど、できるだけ働かない!その分できた時間を自分の有意義な時間につかい、逆に生産性を生む方法にもなるのでは、と最近はそう感じたりします。時間がないと、「時間がない」という理由であれこれやりたいことを先延ばしにして逆にムダがうまれてしまうとも思っています。世の中には仕事が好きな人間と、嫌いな人間がいて、アリとキリギリスで言うなれば、私はキリギスタイプです。しかし童話のようにアリが最終的に良い結果になるというわけではなく、キリギリスはキリギリスなりのやり方があるということです。仕事がすきな人は仕事をすれば良いし、仕事が嫌いな人は仕事をしない手段を探せばいい。イタリアでは大きな被害はないにせよ詐欺にあったりしたので、いい思い出はあまりないですが、考え方を教えてくれたのはイタリアでした。
前職を退職して、次何やろうかなーと思って旅にでたわけですが、出た結果は私は働きたくないということです。そんなことをいうと怠け者とか、仕事したくないなんてみんながそう思ってるし、働かないと生活できないとか聞こえてきそうですがそういう話ではありません。出来るだけ働く時間を最小限にすることで、時間に余白が生まれてその時間に私がしたいことをする。それが私のやりたいことだ、ということがわかったのです。それが私のこれからのステップだなと思いました。
なぜか海外にいるとエコの意識が強まります。
それは海外のロジックが全て良かったからというわけではありません。例えばポイ捨て。日本以上にポイ捨てを本当によく見かけます。綺麗な建物は海岸でもゴミはたくさん落ちているし、デンマークの田舎の交通量の多い道路にはタバコの吸い殻がたくさん落ちていました。日本はどちらかというと、ポイ捨てをしていても、誰かが掃除をしてくれたり、または捨てる人が少ない環境もあるのか、ゴミをみることが少ないです。だからこそ海外にいって素敵な景色とゴミをみるとゴミの多さに気付かされるし、もっと一人一人の意識が大切だと感じます。そしてレジ袋。ほとんどの国では、じぶんから有料レジ袋を持って行かない限り、または申し付けない限り、店側の袋は出してもらえません。もう少しすれば日本もレジ袋は有料化になりますが、私は何度もお店で「レジ袋いりません」をいい忘れて小さいミンティア1個に対して1つの手提げ袋をもらってしまいます。また、商品に対してのパッケージの多さも気になります。おせち料理のたまごにたいしても、変なすだれが付いていたり、過剰な包装であることに気付かされました。