死に際リスト(人生最後を最高のパフォーマンスにするために)
Posted onこれは、一応、ファッションの話。
最近自分が死ぬときはどういう風に死ぬかを考える。これは決して暗い話ではない。ただ、健全に死ぬのなら、アルコール臭と独特の匂いがする病院で息絶え、親族や友人に囲まれて、白い装束を着させられ綺麗な花を周りに置かれて焼かれる。その行為を私がされたいかというと、正直ごめんだといいたくなる。
世の中には自由に死ねないところもあることをも踏まえてこの記事をかく。そして伝統だのしきたりを守らなければいけないのなら、何を変なことを言っているんだ?ということになる。しかしここはひとつ妄想話をさせてほしい。なぜなら自分がどうやって死んでいくか、なんて人生最後の終止符をパフォーマンス(一種の活動や表現)として終えるのもありなのではないかと思ったからだ(人の迷惑にならない程度にね)。ましてや日本は宗教心が少ない国。ならば、その特徴を死に、ある意味個性強くつくれるのかもしれない。
面白い例として1月5日全国紙に掲載された宝島社の企業広告がある。樹木希林さんがブルーのドレスを着て花を握りしめ水面に浮かぶ。レット・ミレイのオフィーリアを連想させるそのイメージ。そしてキャッチフレーズが「死ぬときくらい好きにさせてよ」という一文だった。その写真は悲しいものには見えない、むしろ美しいと、そしてこのブルーのドレスがとても似合うと感じる人が多いのではないか。
(引用:宝島社)
宝島社は制作意図を次の様に言っています。
「日本の平均寿命は年々更新され、今や世界一。
いかに長く生きるかばかりに注目し、
いかに死ぬかという視点が抜け落ちているように思います。
いかに死ぬかは、いかに生きるかと同じであり、
それゆえ、個人の考え方、死生観がもっと尊重されてもいいのではないか、
最初の案では「せめて美しく輝く星になりたい」だった。しかし 撮影現場で 樹木さんが「私なら塵でいいな」と言ったことから、現在の文章になったという。
ここにあげる例なのかはわからないが、マツコデラックスはよく、「自分はどこかの路地で焼きそばパンを加えたまま死んでいる夢をみる」というのだ。(夢は夢でも寝てみる夢のほうだけど)でも、マツコはそんな死に方も悪くないと言う。死後のはなしだけれどもメキシコでは、死というものを明るい祭事として行う。
例えば、私は白い服を来て最後を迎えたいかといわれたらそうではない。自分の好きな服を着て死にたい。私のおばあちゃん人生は決まっていて、白髪になったらとにかくパステル色で三つ編みをしたい。その色に合わせた鮮やかな服たちを身にまといたい。(パステルカラーではないが、すごくおしゃれなおばあちゃんを吉祥寺でみてから私の人生はきまった)スペースデザイナーの私に言わせたら、空間は最高のパフォーマンス舞台だ。親族や友人に囲まれたいとは思ってない。ある日突然猫見たいに姿を消して、自分が一番いたい場所で野垂れ死にたい。(まだどこだか決まってはいないけど)アートブックやZINEが好きなので、とりあえず 今年NYで買った”TomSachs”のアートブックと”FREE STYLE” というタイトルの作品集はマストで握りしめておきたい。そして私の最後に聞く曲はなんだろう。割と考えることはある。
誕生日はまだ、何十回もあるかもしれないが、死ぬ日は1回だけだ。それもいつか必ず来る結末。だから宝島社の言うとおり、「死ぬためにどう生きるか」は、考えるべき部分である。
おそらくその死に際ではアクティブになれる程の力は残っていないだろう。ベットで横たわって死ぬとしても、わがままのように聞こえないように、自分自身のプライドだと言えるように、前もってやりたいロマンを語ってもいいのかもしれない。
(http://www.nylon.jp/blog/maria/?p=7352)
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いつも見てくれてありがとう:)
私も死にマイナスイメージがない。
始まれば終わる
それだけのこと
ずいぶん欲が減った
睡眠欲も食欲も物欲も性欲も全て減った
日々の生活の中でイメージトレーニングを大事にして不安を生産しない心掛けをしている