【60’s】ゴダール作品に触れる

Posted on

 

 

何年のものか忘れてしまったのですが、古雑誌で映画の特集ページを読んでいた時1人の素敵な女性に目が奪われました。

 

 

その方は、アンナカリーナというフランスの女優さんでその雑誌に載っていた「女と男のいる舗道」という映画のジャケットがとても可愛くてすぐにFilmarksでクリップしたのをとても最近の様に覚えています。

 

 

それから何ヶ月かが過ぎ、インスタの投稿でたまたま見かけたゴダールの映画についての投稿で「ゴダール」という名前が何故か頭から離れなくなり、そこからよく雑誌やネット記事などで「ゴダール」という文字だけを心なしかよく見かけるようになりました。

 

 

そこでようやく「いや、ゴダール誰やねん」としびれを効かせた私の脳内の一部が突っ込んでくれたおかげで私はゴダールがフランスの超有名な映画監督であることを知りました。

 

 

やっと顔と名前が一致したみたいです。

 

 

そこで、以前クリップした映画「女と男のいる舗道」の監督がゴダールだったことを知り、たまたま見かけたインスタ投稿のゴダールの文字は見覚えのある名前だったからだ。とここで全てがつながりました。

 

 

のうのうと生きていてもこう、急に何かと何かが繋がるタイミングってあるもんですね

 

 

そしてこうなったらもう見るしかないんですね、ゴダールという方の作品を。

 

 

調べてみると、私が雑誌で視線を奪われたアンナカリーナはゴダールの作品にヒロインとしてほぼ毎回出ていて有名なタッグだということも見えてきました。

 

 

ウェスアンダーソン一座みたいな風習がこの頃もあったんですかねえ。

 

 

余談が長くなりましたが、今回はゴダール×アンナカリーナの作品に触れて行きたい!!です。

 

 

 

 

 

まず、私が調べていた中で抱いた率直な感想としてはゴダール作品理解するの難しすぎる説でした。

 

 

どの作品のレビューをみても、難しい。の言葉が圧倒的に多いのです。

 

 

これはとんでもない苦行になるか、もしくは精神的苦痛を伴う映画鑑賞に成りかねない、と感じましたがまずは1作目に何も知らず単純に気になってクリップをした私の直感を信じ「女と男のいる鋪道」 (1962)を見てみました。

 

 

 

 

始まるや否や、私の構え過ぎていたゴダール作品に対しての懸念が一瞬にして取り払われます。

 

 

ショートカットで目がお人形の様に綺麗すぎるアンナカリーナの横顔、正面が白黒ドアップで映されながらスタッフロールが流れます。

 

 

息を呑む美しさとともになんとも不気味なBGMでこれから何が始まるのか。と思わせるような始まりから思いっきり飲み込まれます。

 

 

あらすじは、子供を置いて女優を目指しながらレコード展で働くナナ(アンナカリーナ)が諦め売春婦に身を崩す話で、内容は重いのですが通して見てもなぜか重さを感じなかったのです。

 

 

12のストーリーとして進んでいく短編映画のように話がテンポよく進んでいくのが理由の一つでもあると思うのですが、一つ一つのストーリーは、割とねっとり進んでいきながら音の使い方がとっても特徴的だと感じました。

 

 

BGMが止まったり、また流れたり、また止まったと思えばセリフが出てきて無声映画のようになったりで、今の映画に見慣れている私からしたらとっても不思議な感覚で何か一つの舞台を見せられているかの様な気持ちになったのです。

1カットずつがとってもおしゃれでカッコいいのです。

 

 

極め付けだと思ったのは、粋すぎる言葉選び。

まるで小説の1ページを丸々読まれているような長すぎる台詞が一つ一つとても素敵でなによりも11章で出会う老人とナナの何気ない会話が時代を超えて理解できる人となりの説明な気がして、11章だけでも45回巻き戻して見てしまうくらい最初から最後まで聞き逃したくない言葉が止まらないのです。

 

 

人間も言葉を裏切る

書くようには話せないから

 

話すことはもう一つの人生だ

別の生き方だ

話すことは話さずにいる人生の死を意味する

話すためには一種の苦行が必要なんだ

人生を利害なしに生きること

 

何かを言おうとしても言葉が見つからない

言葉が見つからないことへの恐怖

言葉に自信が持てる?

努力して持つべきだ

正しい言葉を見つけること

つまり何も傷つけない言葉を見つけるべきだ

 

 

はじめてゴダールに触れたこの一作は、私の中では映画の革命で今の映画に慣れているからこそ新鮮で、新しくて、思いっきり覆された気持ちになりました。

 

 

波に乗った私は2作目にどこかの雑誌のエディターさんがオススメしていた「気狂いピエロ」(1965)を見ました。

 

 

 

 

ゴダール作品で1番のおすすめと書いてあったのもあり、映画も白黒からカラーに変わりより見やすくなるのではないか?と思い見始めたのも束の間、話の内容があまりにもヘビーでこれこそ苦行かもしれないと思い始めました笑

 

 

あらすじは、退屈な結婚生活を抜け出したいフェルディナンは元カノであるマリアンヌ(アンナカリーナ)との再会を気にそのまま一夜を過ごすのですが、翌朝見知らぬ男の死体を見つけます。そこから始まる2人の逃避行劇なのですが、私はこの作品はアンナカリーナあって成り立つ作品だとゴダール2作目ながらゴダール作品に必要不可欠であるアンナの存在感に気付かされます。

 

 

一作目同様なのが、こんなにヒステリックそうな作品で、実際に殺人シーン多めながらもやはり何故か作品の重さや見にくさと言ったものがないのです。

 

 

ここにアンナ演じるマリアンヌの底なしの明るさというかもう狂ってるほどの身のこなし方が全体的にかなり印象的なのと、やはりカラーに変わっても変わらぬBGMの使い方とセリフの匠技が止まりません。カラーに変わってからは毒々しく眩しいほどの色使いなのになぜか全体として見た時すごく美しいバランスが加わり、オシャレ感がより上がったせいか重さを感じないのではないかと思いました。

 

 

そして上記2作品とも終わり方がなんとも唐突で衝撃的なので己が「え、」て言って終わりを迎えます笑

これもゴダール作品ならではなのでしょうか。

 

 

さあ1日にしてゴダールが少しずつ浸透してきたタイミングであえてなぜかゴダールを見る前から私へのおすすめで出てきていた「女は女である」(1961)を鑑賞しました。

 

 

 

 

正直、おすすめ納得で圧倒的に一番見やすかったです。

 

 

あらすじは、キャバレーで働くアンジェラ(アンナカリーナ)が急に子供が欲しいと言い出すところから始まり、一緒に住むエミールは驚きを隠せませんがそこにアンジェラに心を寄せるアルフレッドが現れ物語が進んでいくのですがゴダール作品なので結構あらすじどうこうよりも気になる部分が転がっていました。

 

 

一言で言うとラブコメディなのですが、一番笑えてなおかつ表現方もわかりやすく、子供が欲しい話よりもとても軽快すぎて口を聞かないと言ってから本の題名でお互いに侮辱しあう行為は微笑ましい!

 

 

相変わらず色使いや、カット割が独特で3作目にしてアンナカリーナのイメージカラーは赤である。と確信つくくらい赤!赤!赤!くらいのカラーのインパクトが盛り込まれているし、ぶつ切りで繋がっていく感じがほんとに上手く目が惹かれて飽きさせない作りになっていると思うし謎にBGMがやたらと音量大きめなのも特徴なのか時代なのか気になりました笑

 

 

とある方のレビューでこの時代にこういうコメディ作品を作るのは時代の先駆けだと言ってる方がいてなるほどな。と思わされたものです。

 

 

ゴダールの作品は、気難しいとか理解に苦しむとかの感想もとても多いのですが、その解釈もまた面白くて、何が起きた?私は今何を見ていたんだろう。みたいな感動で印象に残るのではなく、驚きや意味のわからなさで印象に残るのも全然ありだと思えて、むしろ変な印象の残り方のがより作品について考えることをすると思うし、実際に私もわけわかんない。どうしよう。となったからこそ印象に残った場面を深掘りしたり、他の人はどんな解釈してるの?と調べたりして得た感想なので映画として受け取る感想はわけわからない方がいいのです。複雑なだけ頭を使うのだとゴダールの作品を通して私は思いました。

 

 

結局難しいのか。と思われそうなことを書いてしまったのですがそんなことばかりではなく、全作共通で映画中に観客の方(映画を見てる人たち)にカメラ目線で挨拶をするシーンが必ずあり、ユーモア溢れる作風が所々に見られるのも特徴的だったしどんな話であれ、何故か目が離せなくて見飽きない映画で新しい映画の概念をゴダールの作品に見た気がしました🎞

 

 

他にも、有名作だと「勝手にしやがれ」や「はなればなれに」などの作品があり、とくに映画好きの方や少し変わった映画に興味がある方におすすめしたいので、気になる方は是非アンナカリーナの美しさとともにゴダールの作品調べて見てください☺️

 

 

-end-


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

◀ このブログのトップページへ