ここが牢獄?マイケルムーア制作の映画でノルウェーの囚人たちに注目!

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今回はおすすめの映画を紹介しようと思います。

マイケルムーア監督といえば、奇抜な視点から撮るドキュメンタリー映画が有名。「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」では世界の不思議な制作をピックアップした映画なのですが、その中の一つがノルウェーの囚人たちです。

 

私が小学生の時、死刑について考える授業がありました。そのときの私の答えは死刑は有り、どんな人でも人を殺してしまえば相当の罰を受けるべきである。そう考えていました。またどこかの親が自分の娘、息子が殺された時、あなたはどうするかという質問に、親はその人を殺すか罰を与えるだろうといいました。

人が罪を犯したら、その人には罰を与えるのが正論。罰を与えることによって人は罪を犯さなくなる。多くの国ではそんな考えがあります。そして日本では、一番重い罰として死刑があります。こういった考えにより、思わぬ問題が起きています。罪を犯した人が葬られる場所、刑務所の不足です。あまりにも多い囚人の数に刑務所の数が足りていないのです。

刑務所とはどういったためにあるのでしょうか。罪を犯した人に罰を与えるための場所?様々な刑務所があるのですが、その中でも異質に有名なのがバストイ島の刑務所です。この刑務所は島自体が刑務所となっており、牢屋といったモノはありません。囚人は一般的な家で暮らし、その島で自分を生かせる仕事をしています。部屋に鍵も閉めれてゲームやたばこも吸えます。包丁だって使える。そして囚人同士だけでなく、刑務所の管理人とお話をしたりしています。
休暇もあり、場合によっては家に帰り、家族と生活することもできる。

刑務所がなんのために存在するのかというと、罪を犯した人物が、社会復帰できるようにする場所です。そして犯罪抑止へとつなげていく。ノルウェーの考え方は、いかなる人間も人間である。ということ。

みなさんは犯罪を犯した人をどう考えるでしょうか。別物として考えていませんか。一般人と罪を犯した人に隔たりが出来てしまえば、その人は社会復帰さえもできない。ノルウェーでは犯罪外の一般人が犯罪者の声を聞くシステムも作られています。詰まりに詰まったアメリカなどの刑務所の中で行われているのは、囚人同士の会話です。自分がどういう罪を犯して、今までに殺した人数は何人だとか、窃盗方法、薬の名前。更正のための刑務所が、罪を教える場所となっている。そしてまた罪を犯せば、またぎゅうぎゅうの刑務所へ。囚人の多さにお金や人がまかないきれなくなり、更正するための教育費までもまかないきれなくなる。悪循環にしかなりません。

一度罪を犯した人はもう二度とその罪から逃れられないのでしょうか。罰を与えることで、人間は正しくなるのでしょうか。そしてそれは犯罪の抑止につながるのでしょうか。子を殺されたノルウェー人の親はどう答えるのでしょうか。その答えをこの映画で知ることができます。

 

 

こちらは映画ではありませんが、ノルウェーの罪と人のありかたについて取材した人の動画があるのですが、ちゃんとした動画ではないのでこっそりリンクしときます。他にもyoutubeで「ノルウェー 囚人」と調べると色々出てくるので、気になる方は色々調べてみてくださいね^^

 

 

これまた違う人物の名言の拝借ですが、常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである。(アインシュタイン)という言葉があります。物事を捉えるとき、一つの視点から考えていないでしょうか。そこにはおそらく、自分自身の経験から作ってしまった”常識”で溢れかえっているかもしれません。相対化することも忘れず、考えることも大切です。

 

 

参考:「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」


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