ビートルズにフォーカスを当てた読書感想文になっちゃった話。

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ドライヴ・マイ・カー

ノルウェーの森

ミシェル

ひとりぼっちのあいつ(ノーウェアマン)

ペニーレイン

ヘイ・ジュード

ヒア・カム・ザ・サン

イエスタデイ

 

この文字だけだと、勘の鋭い人なら何のことかわかりそうですね。

 

これらの言葉全てビートルズの楽曲という事に気づけた方、最高にして正解です◎

 

そしてもっと勘の鋭い方ならもう一つの共通点に気づけると思います。

 

それは全て村上春樹の作品に出てくるビートルズの曲名だという事。

 

私はビートルズが好きで日頃から聞いている方なのですが、ラバーソウルというアルバムを聴いていた時ふとノルウェーの森て映画前にあったよな〜懐かしい〜とその時はただの偶然だと思いあまり気にしてなかったのですが、ドライブ・マイ・カーが映画の名として日々ニュースで流れるたびにこれもビートルズだな。と思いドライブ・マイ・カーの原作を調べるとなんと村上春樹ではないか。もしかして、と思いすぐにノルウェイの森も調べるとこれまた村上春樹。これは偶然ではなく意図的だ。しかもラバーソウルの頭2曲を連続で活用。なんと大胆なんだ!と気になって仕方がなくなり村上春樹とビートルズの関係性について調べようと思ったわけです!そしてそんなことを今回ブログにしようと思ったわけですが!!!

 

先にさらっとお伝えするとそれほど大きな繋がりはないと言うこと、、、笑

 

特にビートルズの作品数が多く出るノルウェイの森ではホワイトアルバムに着想を得ているらしくそこから執筆が始まったらしいとか。

 

村上春樹本人も、ビートルズのファンだったかといえば別にそうでもなく、ただ当時のビートルズの人気はとてつもないものでラジオをつければビートルズが流れてるのが当たり前で嫌いなわけでもないから自ら聞こうと思わずとも流れていれば聞いてきた。とそんな感じでして、ビートルズといえば音楽史と限らず60年代の歴史の一つとして多くの人々の記憶に残るものであり、だからこそビートルズの楽曲を出すことで当時の多くの人々の想像や回想のしやすさに繋がるということになるのだと思われます。

 

単純に、小説家でもアーティストでもなんでも何かから作品の着想を得ていて、それが形になるわけで、村上春樹の場合はビートルズだっただけで、ごく普通にありうることだと言うことです。

 

上記の通り、ビートルズと村上春樹の繋がりについては正直なるほどなーと言えるほどの繋がりはありませんでした。

 

でも村上春樹の作品にはしっかりと背景としてではなくフォーカスを当てられるほどのビートルズが存在していたと思います。

 

というのも先ほど話したようにノルウェイの森にビートルズの曲が10曲以上出てくるという事実を知って、事実確認とどんな形で出てくるのか、ここに何か二つの繋がりのヒントがあるのではないかと思い爆速で小説を上下巻読み、実写化された映画も確認してみました。

 

日数にして6日分程時間を割いて読んで、見てみたのですが変わらず二つの繋がりは納得できるものではなかったのですが、新しいビートルズの側面を村上春樹の作品を通して垣間見た気がしたのです。

 

—ここからはただひたすらに真剣な大人の読書感想文みたいになっていきますが、気になる方は是非読んでいってください—

 

 

 

 

ノルウェイの森は1960年後半くらいが舞台で、ワタナベというごく普通でありながら、本読むことが生き甲斐で真っ向からまず人を否定しない優しくて話し方の独特な大学生の話で、本を読んでも、映画を見てみても私には到底まだ経験もなく、理解し得ない苦悩を抱えながら、人に流されたり流されなかったりする十代を過ごし、二十歳前後で生きる人としての責任を覚え、生きるって生きてるってこんなにも深くて素敵なんだ。と感じるような話。

 

小説自体すごく久々に読んだのですが、こんなにも情景が浮かんで、この人はきっとこんな背丈でこんな顔でこんな話し方で、こんな服を着てるんだろうな。と想像が私の中で作り出され、本を読んでる日々はまるで知り合いの話を読んでるかのように登場人物が当たり前のように自分の生活に存在してる気になるなんて非常に不思議でした。

 

ノルウェイの森では、ビートルズの楽曲が65年のラバーソウルから、リボルバー、サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド、マジカルミステリーツアー、ホワイトアルバム、そして69年のアビーロードのアルバムの中から曲名が出てきていました。

 

この頃は確か、コンセプトアルバムといってある一定のテーマや物語に沿って一枚のアルバムを作る手法が流行っていたのもあり、この頃のビートルズのアルバムに対しては私の中でビートルズやビートルズに関わってきた人たちの解説、またコアファンの方々が思う解釈などをひっくるめつつ、私自身が歌詞を見て聞いて感じ取った解釈を持っていたのですが、最も簡単にいい意味で覆され、新しい二面性を見せつけられ、それが村上春樹の表現するビートルズが存在する世界で一つ一つのシーンが文面だけなのに360度色付いて私の脳内に再生されたような気がしました。

 

私はその世界の理解度を高めるために、本を読む時は必ずビートルズのアルバムを聞き流しながら読むことにしていました。

 

飛行機の天井からかすかに流れるどこかのオーケストラが奏でるノルウェーの森を懐かしんだり、レイコさんの弾くミシェルを部屋でワインを飲みながら聞いたり、直子の二十歳の誕生日、暗闇の部屋で雨の中狂った様に止めどなく話し続ける直子を横にサージェントペパーズが流れていたり、広い山奥で緑が広がる壮大な牧場で奏でるヒアカムザサンや二度目の葬式でイエスタデイサムシングを奏で続けた後

 

この人たちはたしかに人生の哀しみとか優しさとかいうものをよく知っているわね

 

としみじみ語り、続けてペニーレインブラックバードを弾き語り、いろんな音楽を奏でた最後にエリナリグビーそして50曲目にまたノルウェーの森をしっとり弾き上げ葬式を終らせる。

 

全ての繊細で素敵なシーンに音楽が、それもビートルズの音楽が存在していて、まるで大人たちが懐かしい音楽を聴いたときにこの頃の俺はこーだったとか、こんなことをしてきた。とか若い頃の話を懐かしみながら語るように、その音楽とともにある思い出に自分が存在しているかのような気持ちになりました。

 

映画は音楽を聴きながら観ることは難しいけど、本ならBGMにしながら本を読むことが可能で、より細かい説明の上に自分で雰囲気をつくりあげることができることに気づきました。

 

そしてその曲を聞くたびにきっと毎回本の内容を思い出すだろうし、他人事ではなく自分に起きたこととして本を思い出すのだろうと感じました。

 

それによって曲への思い入れや解釈が変化していくのはとても興味深く面白いことだと思うのです。

 

そんな体験を村上春樹の手によってビートルズへの固定され変化することはないだろうと思っていた思いが上書きされ、私の経験になることで2Dだった考えが3Dに変化するような感覚を経験したのです。

 

私は確か映画公開後DVDになってからレンタルで見たのが初めてで、その時は原作も知らず経験も浅く、ビートルズも名前しか知らない状態で見ていたのもあり、話の少しも理解できなかったのですが大人と言われる年齢になって、ある程度知識のついた上で見返すと二十歳手前で、大人になり切れてないのに背中を押し出されて無理矢理大人にならなきゃ行けないもどかしい感覚や悔しさ、どこにもぶつけようがないモヤモヤした気持ちや発散し切れない思いを抱えて頭がぼーっとした感覚で過ぎてく日々を思い出し、懐かしくも登場人物に同情してしまう気持ちや憧れのようなものをビートルズの緩やかでありながら特徴的なコード進行から不安さを掻き立てられてより感じました。

 

既にある考えを固定せず見事に壊して見方を広げることは自分だけだとなかなか難しいけど、こういう形で壊せることはとてもいいことであると思うし、プラスアルファで作者の意向を知ることができるのも面白く、国語の授業でよくありながらも学生の頃は実に無意味だと思ってた作者の気持ちを考える。ということを自ら調べ考える自分がいる事も感慨深いものがありました。

 

だから私はこれからもめげずに、この二つの関係を調べていきたいし、今後の登場の仕方にも大いなる期待をしています!

 


 

そんなこんなでただの読書感想文になりましたが、アーティスト人生を歩んできたビートルズしか知らない私が小説に触れることで一つの物語として発見され、存在されたビートルズに出会えて良かった。という話でした笑

 

このような体験や出会いを今後ももっと増やしていろんな形で今私の中にある固定された概念を壊し続けていけたら理想だなと思います。

 

最後の最後に岡本太郎みたいなこと言ってしまいましたが(伝われ)新しく開けた小説の入り口を、私なりの見方や感じ方で今後もお話ししていけたらと思っています☺️

 

今回もお付き合いいただきありがとうございました📖

 

 

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