今はまだ私の片思いでいい
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sara moonです. こんばんは◯
タイトルだけ設定してから、もう2週間も経ってしまった。
けれど少し寝かせた時間があったからこそ書けることも、きっとあるはず。
いつも通り、カフェで何気ない時間を過ごしていた。
「学歴ってあんまり関係ないよね」という私の呟きに対し、
「いやー、でも世間的にはある程度”普通の人”に擬態できた方が得なんちゃう?」
友人は中学校を中退している。
私の発言の意図は「学歴だけではその人自身の素晴らしさを測れない」という主観的なものだった。
彼女からの返答は「一般的社会では表面的な印象の良さで判断されがちだから、学歴に限らず可能な限りそのコミュニティの”普通”に水準を合わせておいたほうが余計な足切りを食らわないため無難である」という客観的なものだ。
何気ない世間話に対しても、このように自分の意見を織り交ぜながら丁寧に返事をしてくれるおかげで発展性のある彼女との会話がとても好き。
今、私は体調が良くない時間が圧倒的に長く、体力も驚くほど無い。
しかし対外的にはどこか健康そうに振る舞っていたほうがいい気がして、いわゆる「普通」に見える工夫をしていた。これは彼女の言う「擬態」に当てはまっていると思う。
ただ、その擬態が上手くいってもいかなくても、嘘をつき続けているような後ろめたさが常にあって、そのこともまた別の新たな苦しみを生んでいくのだった。
話は変わるが、久しぶりに映画を観た。
『ブラック・スワン』
主人公の女の子はとあるバレエ団に所属する
舞台『白鳥の湖』の主役に大抜擢されたバレリーナ、”ニナ”
バレエ一筋でストイックな生活を送っているが
自らの性格に合った、一途な愛を貫くピュアな白鳥だけでなく
王子様を誘惑する黒鳥の邪悪で奔放な役柄も
同時に演じなければならないことに苦労していたのだった
配役をめぐるバレリーナたちの過激な競争と
大役を任された一方で演技力が伴っていないことへの
焦りが募り、次第に現実と幻覚の区別もつかず
極限状態へと追い込まれていく
2010年に公開された
ナタリー・ポートマン主演のサイコスリラー
この映画を見たのは、前日と当日の体調不良により、やむを得ず發王戦プロ予選を欠場した日だった。
最悪の時に見る作品としては過激過ぎて、途中で余計に調子が悪くなった気がしないでもない。
薬の副作用なのか、常時心臓が握られているかのような気持ちの悪さがあるが、そんな縛られているはずの心が微かに、無理やり動かされた台詞があった。
“ベス(歳を取った名バレリーナ)は
心の奥に深い衝動を抱えている
だから踊りも面白い。
危険性に満ち、しかも完璧だ。おまけに破壊的”
“君の道をふさぐ者は君自身だ
邪魔者を取り除け。自分を解き放て”
「破壊的」という形容詞が、賛辞という文脈で肯定的に用いられているのは新鮮だ。
心に深い衝動を抱えているということは、踊りが面白くなるためのエッセンスとなり得るという視点も興味深かった。「普通」なんて微塵も求められていないシーンもあるのだ。例えばこんなところに。
衝動。
少し前に「ゾーンに入る練習をしなさい」という助言を受けた。
ゾーンに入るとは、簡単に言うと「高い集中力を保っている、感覚が研ぎ澄まされた状態」。
その時のことを覚えておくようにして、なるべく意図的にその状態へのオンオフができるように練習してみなさいとのこと。
私は集中できているときとできていないときの差があまりにも激しいのだが、集中できている時は体力のゲージが空になっても気付かないぐらいまで文字通り没頭している。(それ以外の時間がポンコツすぎるため、それなりにできる時もたまにあることをなかなか信じてもらえない)
思い返してみると、自分が高い集中力を保っているときの状態は「怒り」と表すのが一番しっくりくる。
「つきたにさんって怒ることあるの?」と定期的に尋ねられるぐらい、私は他人に対してあまり怒らない。一方で、自分に対しては常に怒っている。友人の言葉を借りるならば怒り「散らかして」いる。
その怒りのチューニングが上手くいったとき、周囲のあらゆるノイズが消えて怒りの対象にフォーカスすることが確かにできていると感じる。
しかし残念ながら今はまだ、そうでない(そうでないどころかポンコツの極みみたいな)時間の方が圧倒的に長い。
勉強して一人の自分が覚えても、何も知らないかのような顔をした、また別の自分が現れることがある。
「それなら全部の月溪さんが覚えれば問題ないよね」と先輩。
先日の勉強セットでは、仲の良い先輩のお名前をど忘れし、スコアシートに記入する際しばしフリーズしてその場を変な空気にしてしまった。その方は「俺の名前なんか覚えんでも良いよ笑」とその場を和ませてくださったが…最終半荘を終えていたことは幸いだっただろうか。
割れるような拍手喝采を浴びせる観客たちは、舞台上のニナがどんな状態で演じていたのかなんて知る由もないが、踊りに滲み出ている独創性を豊かな表現の一部として感じ取っているに違いない。

右の動物たちは進化すれば左の立派な神獣になれるのだそう
「ウチとかが金髪なのはまあそやろなって感じやけどさ、つきたにせんせーみたいな見た目のやつが金にしてんのが一番こわいんよな笑」
「笑」
様々なアンバランスさや矛盾を、好きだと言ってくれている人たちがいる
そんな目の前の応援してくれるあなたの期待に応えたい
なかなか上手くいかなくて、もはや正気ではないみたいだけれど
今はまだ私の片思いでいい
でも、いつか必ず夢中にさせてみせるね
それではまた
Good night~