パニック持ちの過去話。

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笑顔でいなさいと世間は言う。
私も、笑って生きていけるなら、そうしたい。

 

 

つらい時に笑っても、さらにつらい。
だったら、叫んで泣いた方が少し気が紛れる。

 

 

1番効果があったのは、家族や親友にHug、抱きしめてもらうことだった。

 

 

 

 

朝、目が覚める。まだ、意識はぼんやり。
昨日あったことがやっぱり現実なのか。と頭が理解した時、目にうつったあの天井とクローゼットの無機質な光景は、写真を撮ったみたいに鮮明に今でも思い出す。

 

 

感情が一気に、涙が出る。
どんなに泣いても変わらない現実。それでも泪は止まらない。

 

 

病院の薬は副作用が強く、つねに続く吐き気と焼けるようなノドの痛みのせいで、ベッドから三ヶ月は出られなかった。
おまけにひどい睡眠作用のおかげで1日の3分の2は落ちるように寝ていた。心もボロボロだったけれど、副作用の方がひどくてそれどころじゃなかったかな。

 

 

 

起きていても、哀しみと孤独、虚無感と劣等感。生きていて申し訳ない。と思った。焦燥。
自分には生きる価値がない。と毎日考えた。

 

 

 

寝ても悪夢しかみなかった。生きているのか死んでいるのか、もう分からなかった。

 

 

 

 

いっそのこと、ラクにしてくれと毎日、願った。親に包丁を差し出し、殺してくれと言った。最高に親不孝者だと今でも思う。

 

 

 

 

 

薬を飲むなと親や周りは言ってくれる。
でも薬がなかったら、私は生きていなかっただろうと思う。
例えるならば、心にフィルターをかけてくれる。

沈んだ暗闇の心をぼかす。
だから、悲しい、さびしいの気持ちが薄れる代わりに、考えることが出来ず、楽しい、うれしい、喜怒哀楽の人間らしさを失くしていく気がした

 

 

そのあとにきた、回復期の無感情、躁うつも機会があったら書きます

 

 

 

 

 

そんな、昔のことを少し思い出した

 

 

その経験はしなくてもいい経験だけど、経験から学ぶことはあった。

そう思えば何でも後悔はしないし、まだ先があると思えるようになった

 

 

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